「ハンマー」と「ダンス」(2021.01.05)

はじめに

年末についに、全国の新規感染者 4520 人、東京で 1337 人となった(NHK 1/1 時点)。 東京都からは、再度「緊急事態宣言の検討を」との声も聞こえる。 ここに至るまでの日本のコロナ対策を見ていると、 感染の拡大に対して振り回されている感が拭えず、 対策の全体像、先の展望が見えない。 ワクチンが2月末頃から始まりそうだがこの冬には間に合わず、 目下の第3波の行方が非常に気がかりである。

コロナウイルス:「ハンマーとダンス」の記事

第 1 波の始まる頃、 コロナ対策の戦略を扱った「ハンマーとダンス」と題する ネット記事(米国 スタンフォード MBA の Tomas Pueyo 氏執筆)が話題になった。 当時、邦訳(加藤智久氏執筆)の一部を見た気がするが、先日改めて読み直した。 目下のコロナ対策の全体像について、再度認識を新たにした。
2020/03/22 コロナウィルス : 「ハンマー」と「ダンス」
(指導者が十分に時間を稼げた場合、これから18か月間がどうなりうるか)
この記事の中では、 等のことが述べられている。

この記事の後この著者は、 「ダンス」の期間で $R$ を小さく維持するためにいかにすべきかについて、 一連の続編を記述している。

2020/04/23 「ダンスを学ぶ」パート1 (世界中の国々から学べること、またはダンスのマスター・クラス)
2020/05/01 「ダンスを学ぶ」パート2 (誰でも覚えられるダンス・ステップの基礎)
2020/05/04 「ダンスを学ぶ」パート3 (検査と接触者追跡の方法)
2020/05/14 「ダンスを学ぶ」パート5 (コロナウイルス:侵入させない、蔓延させない)

新型コロナウイルス感染のいくつかの特徴

コロナと日々闘っている方々の中に、感染者間の感染経路を辿っている人たちがいる。 この結果を用いると、 ある感染者が二次感染を引き起こすまでの時間(日数)差を知ることができる。 これらのデータを多数集めれば、 このウイルスが二次感染を引き起こす時間差の分布 (二次感染間隔分布、医療分野では発症間隔分布とよばれる) を求めることができる。

西浦博氏(「8 割おじさん」)が2020年2月にまとめた報告によると、 この分布は平均値 4.8 日、標準偏差 2.3 日のワイブル分布に近いとされている。 その分布を下図に示す。


図 1. COVID-19 の二次感染間隔分布(推定値)
この図は全面積が 1 となるように表されているので、 ある時間内にある感染者が他の人に二次感染を引き起こす確率は、 その時間内の赤の曲線の下方の面積に再生産数 $R$ をかけた値となる。 もちろんここでは、 個人差を含めた諸々の事情を無視した平均的な場合を対象としている。

一方、感染者が発熱などの症状を示すのは、 WHO によると平均して感染後 5 〜 6 日とされ、 発症する数日前から感染を引き起こしていることになり、 また、まったく発症せずに二次感染だけを引き起こしている可能性も 指摘されているとおりです。 これが、このウイルスの対策が難しい大きな理由となっているのです。

上記の再生産数 $R$ の値は一般に、

  1. そのウイルスそのものの感染のし易さ、
  2. 人と人の直接的および間接的な接触の多さ、
  3. 対象となる人たちのうち免疫を持っている人の割合、
により決まります。 このうち、平均的な通常の社会状態のもとで、 免疫保有者が含まれない場合の再生産数は、 ウイルスの性質だけで決まると考えられ、 これは基本再生産数 $R_0$ とよばれる。 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の場合は、 $R_0 = 2.5$ であるとされています (おそらく武漢の初期の感染データからの推定値)。 もし 60 % 以上の人が、 既に感染するかワクチンを接種するかして免疫を持っていれば、 $ R < (1-0.6) \times R_0 = 1.0$ となり、 感染は収束へ向かうことになり、 この状態は集団免疫の状態と呼ばれます。 免疫が持続するのであれば、 何も対策を取らなければいつかは集団免疫状態になりますが、 それまでに医療崩壊が起きて大勢の人が死去するのは確実ですし、 コロナウイルス類の免疫は長くて 1 年程度と考えられているので、 この惨事が毎年繰り返されると予想されます。 ワクチンがない限り、 医療崩壊を防ぐには、(2)の人と人の接触を少なくする以外の方法はなく、 これが「社会的距離」と呼ばれている措置です。

再生産数 $R$ はある感染者が二次感染を引き起こす平均的人数であり、 これが 1 より大きければ感染は拡大し、小さければ収束します。 その間、$R$ が一定であれば、 結果的に(1日ごとの)感染者数は次のような指数関数で表されます。 $$ (1日の新規感染者数) = (一定値) \times e^{r~t} \quad \quad t: 時間(日) $$ 指数部の係数 $r$ (指数増加率) は 二次感染の総数 $R$ とその時間差分布に応じて変わり、 図 1 の二次感染間隔分布を用いて計算すると、下図のようになります。


図 2. COVID-19 の $R$ と $r$ の対応

指数関数はいわゆる「ねずみ算」です。 そのイメージを掴んで頂くために、2倍(または半分)になる日数を下表に示します。

表 1. $R$ と倍増(半減)日数
$~~R~~$ 0.25 0.50 0.75 0.90 0.95 1.00 1.05 1.10 1.25 1.50 2.00 2.50
$r$ -0.2511-0.1339-0.0580 -0.0217-0.0106 0.0000 0.0102 0.0201 0.0477 0.0887 0.1572 0.2140
半減日数 倍増日数
2.8 5.2 12.0 32.0 65.3 $\infty$ 67.8 34.5 14.5 7.8 4.4 3.2

まず見てほしいのは、右端の $R = 2.5$ のとき(何の対策も行わない場合)、 わずか 3.2 日後には新規感染者が 2 倍になるということです。 慌てて対策をとったとしても、感染者は 1、2 週間後に減ることになりますので、 その間に感染者は 5 〜 20 倍程度になってしまいます。 昨年末頃の日本全体の $R$ は 1.1 前後で上下していました ( up )。 $R = 1.1$ なら 1 か月余りで 2 倍になります。

4 月の第 1 波の際、人と人との接触を 8 割減少して $R = 0.5$ にしたとすれば、 5.2 日ごとに新規感染者が半減したはずでした。 実際には $R = 0.7 $ 程度までしか下がらなかったので少し長引きましたが、 第 1 波は何とか収束しました。 日本のコロナ対策で、$R$ の値はこれ以下になったことはありません。

イギリスで感染力 1.7 倍の変異種ウイルスが拡大し、 「3 度目のロックダウンか?」とのニュースが入って来ました。 感染力が 1.7 倍とすると、 「同じ対策措置のもとでも $R$ が 1.7 倍になる」ので、 第 1 波の緊急事態宣言時の状態($R=0.7 \times 1.7 = 1.19$) を維持しても収束しないことになります。 これが日本で広がると、 これまで経験したことのない事態に陥る可能性が大きい。

改めて「ハンマー」と「ダンス」

「医療と経済の両立」とよく言われます。 上の考察を元に考えれば、 これを可能にするためには$R$ を 1 以下に維持することが必須です。 マスクや手洗いなどの対策を行った上で、 場合によっては社会・経済活動の一部制限をおこなって、 $R$ が 1 以下になるように社会・経済を維持していく。 これが「ダンス」の状態であり、「緩和(mitigation)戦略」です。 ウイルスは目に見えませんから、 $R$ の変化は感染者数の推移から判断することになります。 感染者数は 1,2週間遅れて変化しますの、早めの対策が不可欠です。

社会・経済活動を制限することはできないかも知れないし、 行った措置が期待した効果に繋がらないかも知れない。 $R$ が 1 を超え続けて感染拡大を抑えることができなくなれば、 「医療と経済の両立」を目指すことを諦めて、 医療を重視して社会・経済活動を強く制限しなければならない。 医療が崩壊した感染環境下では、社会・経済活動も不可能となるからであり、 経済はある程度補償をすることができるが、生命は補償できないからである。 これが「ハンマー」であり、「抑制(suppression)戦略」である。 対策措置が効果を現すには、1,2週間の遅れがあるので、 「ハンマー」はできる限り早期に開始して、 できる限り広範に強い措置を取り、 $R$ を小さく(0.5 以下に)する必要がある。 そうしなければ、活動が停止する期間が長くなり、 経済へのダメージが大きくなる。 もちろん、可能な限りの補償と、 「ハンマー」後の「ダンス」での活動再開の配慮は必要であろう。

現下のコロナ対策は?

この記事を書いている間、 今週末から東京圏で「2回目の緊急事態宣言」発出の方向が確実になった。 感染者数が第 1 波の数倍に達し、医療崩壊に直面していることを考えると、 「ハンマー」が遅過ぎた感があるが、 これが効果を発揮するには、 どこまで強い制限を加えて $R$ を低く抑えることができるかであり、 それにより、 短期間で新規感染者数をどこまで少なくできるかが鍵を握るであろう。 中途半端な制限は感染拡大を長引かせ、かえって経済にも悪影響となると思われる。


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